「謎の球体X/水素74%(作・演出 田川啓介)」
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8/11、駒場アゴラ劇場にて水素74%による『謎の球体X』という演劇が上演された。ので観に行った。
舞台は、増美の元にかつての同級生・村田が訪ねてきたところから始まる。村田は「わざわざあなたを訪ねてきたの。親友だったあなたに」という旨のことを言うが、増美にはそんなに仲の良い同級生……どころか友達もいなかった。訝る増美だが、村田の強く、優しい言葉にほだされていき……そんな冒頭である。
登場人物は全部で七人。配布されたペーパーによると、以下のような「説明」がある。
・健児 キチガイ
・増美 健児の妻
・奇子 増美の妹
・何者 何者でもない男
・春江 大家・増美の同級生
・田中 春江の夫
・村田 増美の同級生
健児と何者を除いて、説明が誰かとの関係になっている。前田の感想としても、この劇はストーリーではなく人物間の関係を観ていくようなものなのではないかと思った。
この登場人物は他の登場人物に対してとても優位な立場を築いている、というのが基本のように思える。例えば増美と村田の関係だが、村田は増美に対して優位な立場を形成する。村田の言うことを増美は何でも聞いてしまうような関係となる。村田が増美を訪ねてきたのは金を借りるため(返すつもりはないが)なのだが、増美は(簡単にではないが)金を渡してしまうし、劇中で増美と村田の力関係が逆転したり、あるいは村田の優位が揺らぐようなことにはならない。増美はずっと村田に対して弱い立場にいる。
増美はこの劇の中でも劣位になり易い人物で、彼女が優位になれるのは奇子に対してのみである(それも、異様に奇子を蔑む感じに。弱い増美をさんざん観ているせいもあって、この蔑み方が妙に笑える)。特に健児に弱い。健児は「キチガイ」と書かれているだけあり、異様に偏った人物だ。家族のことが何よりも大切……家族以外は全て敵でしかない、というような思想を持っていて、家族以外には非常に攻撃的で、けど増美にDVを振るっている。ただし家賃の支払いが遅れがちになるという理由から大家である春江には弱い。
こういう立場の優位劣位、関係性の提示が、新たな登場人物が出てくる度に行われる。そこがある種の見どころで、特に健児と田中が遭遇するシーンは期待感が高かった。田中は身体が弱く、その弱さを人質にとって春江をこき使う、気性の荒い男だ。バイオレンスではなく、モラルハラスメントをしてくる人間である。この田中に対して優位に立つ登場人物はいなかったと思う。そんな田中と、攻撃性の高い健児が、健児の攻撃性が高くなるような状況で遭遇するというのは、凶暴な獣同士が対立するような、期待感があったのだ。
これら人物間の関係の提示が、真っ先に面白いと思える点だった。
人物間の関係の提示から考えさせられたこともある。
先に健児について「増美にDVを振るっている」と書いたが、その証拠は劇中で与えられない。劇中で与えられている「健児が増美にDVを振るっている」とされる根拠は、
・増美が大きな怪我をしている。怪我の理由を増美は「転んだ」としか言わない。しかも怪我は増える。
・健児について、暴力的な評判が多い。
・春江が、DVを受けている増美を心配して離婚を勧める。
・健児が増美に対して優位な立場にある。
・増美が健児のことを「あの人は優しい」などと言う。
といったところだろうか。増美などは、春江に決して暴力など振るわれていないと主張するのだが、増美をDVから助けたい春江は「あなたの言葉なんてもう信用しないからね!」と爽やかに言う。観客としても同じ気分だ。増美の言う「DVなんて受けていない」という言葉は全く信用ならない。
信用ならないのだが……舞台上ではDVは起きていない。いや、健児は増美を恫喝はしたから、肉体的暴力を振るってはいない、とするのが正しいのか。
一方で、健児について肯定するべき人間性は舞台上に提示される。
例えば田中と健児の遭遇するシーン。最初、両者ともが攻撃性をむき出しにしていた。しかし田中の身体の弱さが明らかになると、健児は急に態度を翻して田中を心配する。増美が言っていたように健児の優しさが出てくる。
また別のシーン。健児が増美を恫喝するような場面だが、ここで健児は「家族以外は全て敵だ! 家に上げるな!」などと言う。また、健児は増美に厳しくあたる理由を「家族である増美を外の敵から守るためだ」などと言う。DV男の勝手な言い分に聞こえる健児の言葉だが、しかし、健児の言いつけを守らずに、家族でない村田を家に上げた増美は、その村田から攻撃を受けることになり、被害を受ける。
つまり、舞台上で起きた出来事だけを見るならば、健児はDVを振るっていない。他の登場人物がセリフの上で健児がDVを振るっていると主張しているだけで、出来事としてDVは行われないし、むしろ「健児は本当に増美のことを心配しているのではなかろうか」と思えるような出来事が起きる。
DVは本当のことなのか? それとも単なる評判に過ぎない……ウソなのか?
『リアリティを考えたい(演劇について)』でも触れたが、演劇では、ホント/ウソの問題は簡単に片付くものではないのではないか。セリフを信じること、セリフと出来事の間に差異があること、その差異をどのように扱うかということ。全然具体的な筋道は分からないのだが、これらの問題は「フィクションとは何か」「リアリティとは何か」という問に繋がるものなのではないかと思う。作者が「フィクションとは何か」問題をどう考えていたのかは不明である。しかし『謎の球体X』では、登場人物のひとりが「これは全て演劇だ!」と気付くバージョンもあったという(前田が観た回でそのシーンは削除されていた)。このことを考えると『謎の球体X』は、もっと注意深く観れば、「フィクションとは何か」について考察が深まるような演劇なのかもしれない。
ところで、ひとつ演劇ならではの面白い現象にも立ち会った。
登場人物の一人・何者は、客席の方から登場する。客席の通路の下から突然出てきてそれから舞台に上がっていく。
観客はもちろん、唐突に出現した何者を見る。前田が座っていたのは、何者の出現位置の後方……つまり、何者がが顔を向けていない位置だった。そこから出現した何者を見た。だが、何者より前方にいた観客……つまり何者から視線を向けられてしまう観客は、出てきたばかりの何者を少し見ただけですぐに前を向いた。
観客は、見るつもりで劇場に来ているからか、見られるという立場になることに慣れていないのだ、きっと。
8/11、駒場アゴラ劇場にて水素74%による『謎の球体X』という演劇が上演された。ので観に行った。
舞台は、増美の元にかつての同級生・村田が訪ねてきたところから始まる。村田は「わざわざあなたを訪ねてきたの。親友だったあなたに」という旨のことを言うが、増美にはそんなに仲の良い同級生……どころか友達もいなかった。訝る増美だが、村田の強く、優しい言葉にほだされていき……そんな冒頭である。
登場人物は全部で七人。配布されたペーパーによると、以下のような「説明」がある。
・健児 キチガイ
・増美 健児の妻
・奇子 増美の妹
・何者 何者でもない男
・春江 大家・増美の同級生
・田中 春江の夫
・村田 増美の同級生
健児と何者を除いて、説明が誰かとの関係になっている。前田の感想としても、この劇はストーリーではなく人物間の関係を観ていくようなものなのではないかと思った。
この登場人物は他の登場人物に対してとても優位な立場を築いている、というのが基本のように思える。例えば増美と村田の関係だが、村田は増美に対して優位な立場を形成する。村田の言うことを増美は何でも聞いてしまうような関係となる。村田が増美を訪ねてきたのは金を借りるため(返すつもりはないが)なのだが、増美は(簡単にではないが)金を渡してしまうし、劇中で増美と村田の力関係が逆転したり、あるいは村田の優位が揺らぐようなことにはならない。増美はずっと村田に対して弱い立場にいる。
増美はこの劇の中でも劣位になり易い人物で、彼女が優位になれるのは奇子に対してのみである(それも、異様に奇子を蔑む感じに。弱い増美をさんざん観ているせいもあって、この蔑み方が妙に笑える)。特に健児に弱い。健児は「キチガイ」と書かれているだけあり、異様に偏った人物だ。家族のことが何よりも大切……家族以外は全て敵でしかない、というような思想を持っていて、家族以外には非常に攻撃的で、けど増美にDVを振るっている。ただし家賃の支払いが遅れがちになるという理由から大家である春江には弱い。
こういう立場の優位劣位、関係性の提示が、新たな登場人物が出てくる度に行われる。そこがある種の見どころで、特に健児と田中が遭遇するシーンは期待感が高かった。田中は身体が弱く、その弱さを人質にとって春江をこき使う、気性の荒い男だ。バイオレンスではなく、モラルハラスメントをしてくる人間である。この田中に対して優位に立つ登場人物はいなかったと思う。そんな田中と、攻撃性の高い健児が、健児の攻撃性が高くなるような状況で遭遇するというのは、凶暴な獣同士が対立するような、期待感があったのだ。
これら人物間の関係の提示が、真っ先に面白いと思える点だった。
人物間の関係の提示から考えさせられたこともある。
先に健児について「増美にDVを振るっている」と書いたが、その証拠は劇中で与えられない。劇中で与えられている「健児が増美にDVを振るっている」とされる根拠は、
・増美が大きな怪我をしている。怪我の理由を増美は「転んだ」としか言わない。しかも怪我は増える。
・健児について、暴力的な評判が多い。
・春江が、DVを受けている増美を心配して離婚を勧める。
・健児が増美に対して優位な立場にある。
・増美が健児のことを「あの人は優しい」などと言う。
といったところだろうか。増美などは、春江に決して暴力など振るわれていないと主張するのだが、増美をDVから助けたい春江は「あなたの言葉なんてもう信用しないからね!」と爽やかに言う。観客としても同じ気分だ。増美の言う「DVなんて受けていない」という言葉は全く信用ならない。
信用ならないのだが……舞台上ではDVは起きていない。いや、健児は増美を恫喝はしたから、肉体的暴力を振るってはいない、とするのが正しいのか。
一方で、健児について肯定するべき人間性は舞台上に提示される。
例えば田中と健児の遭遇するシーン。最初、両者ともが攻撃性をむき出しにしていた。しかし田中の身体の弱さが明らかになると、健児は急に態度を翻して田中を心配する。増美が言っていたように健児の優しさが出てくる。
また別のシーン。健児が増美を恫喝するような場面だが、ここで健児は「家族以外は全て敵だ! 家に上げるな!」などと言う。また、健児は増美に厳しくあたる理由を「家族である増美を外の敵から守るためだ」などと言う。DV男の勝手な言い分に聞こえる健児の言葉だが、しかし、健児の言いつけを守らずに、家族でない村田を家に上げた増美は、その村田から攻撃を受けることになり、被害を受ける。
つまり、舞台上で起きた出来事だけを見るならば、健児はDVを振るっていない。他の登場人物がセリフの上で健児がDVを振るっていると主張しているだけで、出来事としてDVは行われないし、むしろ「健児は本当に増美のことを心配しているのではなかろうか」と思えるような出来事が起きる。
DVは本当のことなのか? それとも単なる評判に過ぎない……ウソなのか?
『リアリティを考えたい(演劇について)』でも触れたが、演劇では、ホント/ウソの問題は簡単に片付くものではないのではないか。セリフを信じること、セリフと出来事の間に差異があること、その差異をどのように扱うかということ。全然具体的な筋道は分からないのだが、これらの問題は「フィクションとは何か」「リアリティとは何か」という問に繋がるものなのではないかと思う。作者が「フィクションとは何か」問題をどう考えていたのかは不明である。しかし『謎の球体X』では、登場人物のひとりが「これは全て演劇だ!」と気付くバージョンもあったという(前田が観た回でそのシーンは削除されていた)。このことを考えると『謎の球体X』は、もっと注意深く観れば、「フィクションとは何か」について考察が深まるような演劇なのかもしれない。
ところで、ひとつ演劇ならではの面白い現象にも立ち会った。
登場人物の一人・何者は、客席の方から登場する。客席の通路の下から突然出てきてそれから舞台に上がっていく。
観客はもちろん、唐突に出現した何者を見る。前田が座っていたのは、何者の出現位置の後方……つまり、何者がが顔を向けていない位置だった。そこから出現した何者を見た。だが、何者より前方にいた観客……つまり何者から視線を向けられてしまう観客は、出てきたばかりの何者を少し見ただけですぐに前を向いた。
観客は、見るつもりで劇場に来ているからか、見られるという立場になることに慣れていないのだ、きっと。